心と体

2009年10月22日 (木)

心折れるわぁ・・・色々と・・・。

まぁ、色々とね。色々と。
Otabaとかを見ている人だと、ちょっとは分かってもらえるかも知れませんが。Cureだとちょっと分からないかなぁ、その話はあんまり書いていないので。
特には腐男子が冷遇されているからとかそういうのではないですよ。男性レイヤーがあまりにも肩身が狭いとか、そういうんじゃないんだからねっ。

 

言うなれば、自分の周りの自分のそれ以外の趣味に関連するんだけどさ。

 

とは言いなん。
なんとも不思議なことに、最近「エレメントハンター」での検索が多く来訪中。
ありがたい限り・・・って思うんだけど、殆どが「視聴率」と絡めてきたと。
正直、視聴率に一般人は関係なんかないと思うんだけどさ。いくら数字が低かろうが、自分が好きならそれでいいだろうし、それが嫌いなら嫌いでいい、数字が低いからって揶揄する必然性はないと思うんだけどね。一般人が使う数字ではないんだから。
レーティングを好むってのは、やっぱり流行ものならイイモノ、と勝手に解釈してしまう日本人の性かね。花王のエコナがエライことになっているわけだけど、それがどうなってしまっているかって言ったらねぇ。
トランス脂肪酸とか、下手したらマーガリンとかパンの原料の一つのショートニングにはかなり含まれているわけでね、そういうのを見知った上で様々な事件を見て欲しいよなぁ、と思うのですよ。
カロリー0だって、実際には全く0ではなくても表示上認められるし、「遺伝子組み換え大豆不使用」とあっても実際には意図的に混入していない限りには多少混入していても表示に就いて問題はないってことになっているんであって。
そういうのを見ていると、「肝心な所は見ていなくて、どうでもいいことは見ているんだな」と思ってしまう。いささか「ゲシュタルト心理学」かと思ってしまう。
カロリーのない甘味料、自分も利用はするけどさ、実際にはどういうことが起こるか分からないって恐ろしさも含んでいるのよね。新型インフルエンザを空気で感染するんじゃないかと思う人が意外にも多い(飛沫感染)し、何とも・・・と思うわけです。

で。
エレメントハンター。
同人的な目で見ていると、とりあえず本当に少数しかいない。
今の所「Cure」で好きなアニメとして挙げている人はいるけど、コスプレイヤーさんはいない模様。同人誌も当然少ない。
WEBで小説を書いている方を見かけたけど、まぁ「イナズマイレブン」みたいな部分の「ショタ」的な感じで一部の女性受けをしているのは確認できますけども・・・。
でも、それでも自分はいいと思って。
今面白くなってきたと思っているけど、それを面白いか、と懐疑的にみる大人の視点の人もいるのも了解するし、それ以上でも以下でもないしな。
イナズマイレブン オリジナルサウンドトラック VOL.1(DVD付) イナズマイレブンは、最初はあまり話を聞かなかったんだけど、ここにきてだいぶファンも獲得しているようだし、
もしかしたら、エレメントハンターもそこそこは獲得するんじゃないの?って結構自分は珍しく楽天的に考えてますけどね。

何にしても・・・。
あんまり周りの評判に惑わされない方がいいですね。
あくまでも評判はその人の主観であって読んでいる方としては客観的に見えるけど、実は主観は人によって変わるものなんだから、評判にイチイチ頼るのはどうかと。最後には自分で決めなきゃいけないんじゃないの?と。
大体、おそらくインターネットが普及していなければ、いくら不評でも人の評判があまり聞こえてくることはなかったでしょう。まぁ「アニメージュ」「アニメディア」「ニュータイプ」あたりでそういう話は聞こえることがあったとしても、子供向けである以上は、訴求する対象である子供がそれを読まないのであれば全く聞こえてこなかっただろうし、寧ろ「進研ゼミ」とか「Z会」とか「公文」とかで評判がよかったら、もっといい評判の方が子どもには広がったわけで、現在のようにネットが広がった世界では種々評判が書かれてしまってそれが匿名性とその書いた人間の生き様とかを知らない以上は、鵜呑みにするのは危険だし、寧ろそれを信じてしまう人がいるのであるとしたら、本当に愚か。
NTTコミュニケーションズのCFで、「ワールドビジネスサテライト」枠でたまにやっていますけども、子どもが出てきて

>世界とつながってるってどんな感じ?
>あの~、その質問自体が古いと思います。
>だって、この時代でつながっていない状態の方が少ないわけじゃないですか。
>逆に世界とつながっていない頃ってどんな感じだったんですか?
>あっ、僕は言っときますけど、今の時代のほうが好きです。

とか本当にイヤミなCFをやっていた訳ですけど(まぁ通信会社としてはそういうのを標榜することが正しくて「いい世界」と信じているのかも知れないけども)ね、ほんまに愚か。
エレハンのハンナの言葉を借りれば「莫迦じゃなかろうか」ってなるのかも知れませんな。

>あっ、僕は言っときますけど、営業所でたまたま受付の女性の方がいなくて仕方なくレジを打った男性中堅っぽい社員さんがあまりにも不甲斐無い間違いをしたのに嫌気がさした(NTT料金をテレカで払うのに、50円の手数料がかかってそれに消費税がかかるのを忘れていたので、教えてやったという)のでNTTさんには見切りをつけ、家の電話はメタルプラス、携帯電話はau、プロバイダはauone(旧DION=実際には契約した頃はKDDの「NEWEB」)、移動モバイルのキャリアはuqWIMAXですw

ま、何というかなぁ・・・。
エレメントハンター、アタシはこれからも見ますけどね。できればレンのコスプレもします。トムもやりたいですが。

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2009年7月13日 (月)

株式会社マクロス

という、なんとも「今この時世にピッタリに“フロンティア”精神旺盛な」会社が、ちょっと前に流行したEMS器具を販売しているのを見つけたので、買ってみました(ヲイ)。

EMSフィットネスマシーン MCE-3153

会社の紹介はこちらの通り。
まぁ、手軽に始めたいって人にはこれがいいんじゃないでしょうか(売り込みかよ)。結構強力にもできます。
肩の凝りなどにも役立つといいますし・・・。
液晶で分かりやすいってのがいいかもしれません。

あと、こういうのも(いわゆる昔に登場してたイメージ通りのあの形)。
1日10分で600回の腹筋運動!専用ジェル付!AB SLENDER アブスレンダー MCE-3282 【EMSで筋肉引き締め!】【dwカラダ】 【PUP090713MJ10】 
これについての、会社の紹介はこちらの通り。
これがですねぇ、かなり先のもの以上に強力でして・・・。
かなり終わった後に疲労感と言いますか、疲れたって感じがするんですよ。ちょっと筋肉痛になりそうな予感。アブスレンダー、おそらくアブトロニックとかアブジムニックとかアブソニックと同じなんだと思うんですよ。
ただ、価格と販売している場所が違うだけで。
でも、一番の違いは、パルス発生装置がそれらは1個なのに対して、これは4個あるってことですかね。要するに、4カ所から刺激を行うので広くトレーニング(?)に励めると。
当然、購入に関しては購入者の自由意志で購入くださり、当方では一見解を述べているだけに過ぎないことを考慮くださいね。

で。
よく「絶縁シールが剥がれやすい」という苦情が多いようですが、それに対する対処法を見つけました。
両面テープを張るのです。
両面テープって、かなり接着力が強いので、それでだいぶ剥がれなくなる。使うようになってから、殆ど剥がれなくなりました。
ただ、電池の持ちが悪いって話も聞きますけどね。
でも、それもダイソーなどで2個100円のCR2032が売ってますから、それで十分ではないかと。電池に大きな性能はありませんし。
規格を満たしていれば、さほど寿命に影響はないと思われますし。

てなわけで。
1週間とかやってどうなったのよ、1カ月でどうなったのよ、とかはあとでご報告いたします。
とりあえず、3日程度の状況では・・・。
筋肉は硬くなったかな。お腹が割れるようになるのかどうかは謎ですが。でもなぁ、それくらいになればなぁ・・・腹出しのキャラもやっても問題ないような気もしてきた。チラリズムなエドとかアスランとか受キャラとしては腹チラはいわば絶対領域だと思うので!
(何たる言い種)

効果はどうか、というのは薬事法などの大人の事情もあって書けない部分もありますが、それでも評判を伝えている人もそこそこいらっしゃいますけども、あくまで「感想」にしかすぎませんからね・・・。
口コミを覗くと賛否両論あるみたいですし、スレンダーシェイパーなどのように振動するだけだとどうしても摩擦で痒くなる人も多いみたいで、色々な方向から色々と試している人がいるんだなぁ・・・とシミジミ。
まぁ、自分は基本的にはカルニチンとウォーキングですけど。それに加えて食事を気をつけることと、それに更に加えての上の商品ですので・・・。
総合的に効果があればいいかと思っております。

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2008年12月 9日 (火)

風邪をひいては咳してえずく・・・

メンタル的な面も色々とあって・・・。
それが体に作用しているのかも知れないなぁ・・・と思いつつ、今年何度目なんだよってくらいの病院に。
まぁ・・・風邪で済んでいるからいいようなものでしたが。
あ~でも抗生物質が出たので、ちょっとヒドイ部分は感じ取ったのかもなぁ。

で。
色々とまた活動しにくくなったもので・・・。
多くは語れませんが、まぁこれでまた男性のオタクに対する風は厳しくなってくるんでしょうが・・・。
とは言え、「○○ってゲームのせいで」って言い訳をする人間もいるのも事実。まぁそれって「ドントブレイムミー現象」の最たるもので、自分としては「そのせいで自分の中の危ない欲望が抑えられなくなったと言う、結局は自分の人間としての抑制のできない弱さのせいです」って意味に聞こえてくるんですが。
色々とまぁ・・・思うことはあるけど。書きにくい部分もあり・・・。
ココとナッツの話とかも書いたし、ココとのぞみの話も書いたし。・・・ってこれ以上書くとアレなので避けますが・・・。
そういうのを書いておいてなんだけどな・・・、そりゃそれを「おかしい」って言われちゃうとね・・・凹みます。であれば自分は「社長○○作」とか読めば「おかしくない」となるんでしょうかね。かわぐ○か○じとかの作品とかを読めば正常なんでしょうかね・・・。
そもそも自分には文学に異端も何もないと思っているんだけど、異端ってのは存在してしまっていて、例えば「稲垣足穂」とか「澁澤龍彦」は芸術性は買われるけど、世間一般的には「異端」なんだよね。
そっちの文学を多く読んできて、一般的なものと呼ばれる作家の方(ベストセラーを連発される方々)のものはあんまり読んできていないと言うか、読んでも「飽きて」途中で挫折してしまうことがあるのよね、そういうこともあってか、自分には一般的な作品にはとんと馴染みがないんだけど。

そもそも、腐男子ってだけで異端ですよ。通常には。
一部で面白がって持ち上げる人もいるようだけど、それに乗っかる人もいて、でもまぁ・・・本当に小さい男の子が事件に近所で巻き込まれたりしたら、疑われかねないもんね。
小さい男の子に興味を抱くのは「ショタ」であってまた違うわけですけど、それも混同されかねないし。まぁ、自由恋愛的に男性が男性に性的な興味を持つってのは非常に危うくてねぇ。自分は3次元の男はさすがに原則として触るのもイヤって感じだけども、ただレイヤーとして写真を撮るという段になると、こういうふうにくっついてみようかなとかハグしてみようかな、とかなってしまうわけです。でも、いずれにしても3次元の男の人はほぼ例外なく「苦手です」。・・・あ~女の人も苦手ですけどね。
何にせよ、異端は異端だろうなぁ・・・自分は。
それは免罪符がない大悪業なんだろうし、自分も少しは理解しているつもりなんだけど・・・、でも納得しがたいと言うか、でもしょうがないと思っているというか・・・。

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2008年12月 6日 (土)

人権を叫ぶ人間の方が肩身を狭くする世の中って一体

「世界人権宣言」の一節。

第1条
 すべての人間は、生れながらにして自由であり、かつ、尊厳と権利とについて平等である。人間は、理性と良心とを授けられており、互いに同胞の精神をもつて行動しなければならない。
第2条
1 すべて人は、人種、皮膚の色、性、言語、宗教、政治上その他の意見、国民的若しくは社会的出身、財産、門地その他の地位又はこれに類するいかなる事由による差別をも受けることなく、この宣言に掲げるすべての権利と自由とを享有することができる。
(中略)
第12条
 何人も、自己の私事、家族、家庭若しくは通信に対して、ほしいままに干渉され、又は名誉及び信用に対して攻撃を受けることはない。人はすべて、このような干渉又は攻撃に対して法の保護を受ける権利を有する。
(中略)
第19条
すべて人は、意見及び表現の自由に対する権利を有する。この権利は、干渉を受けることなく自己の意見をもつ自由並びにあらゆる手段により、また、国境を超えると否とにかかわりなく、情報及び思想を求め、受け、及び伝える自由を含む。
(中略)
第30条
この宣言のいかなる規定も、いずれかの国、集団又は個人に対して、この宣言に掲げる権利及び自由の破壊を目的とする活動に従事し、又はそのような目的を有する行為を行う権利を認めるものと解釈してはならない。

まぁ・・・色々とねぇ・・・。
色々な所で国と国の誹謗中傷があったり。
人と人の批判合戦があったり。
何ともね、アタシは心を痛めるわけですよ。
気遣いがないとか。
もうちょっと相手の何たるかを感じられれば別なんだろうけど、それがうまく想像できないって言うのかな。
本を読んで情景を思い浮かべるように、何かしらあってもいいのにって。
ただ、知らず知らずにダメな言葉を使ってしまって、それで傷をつける人もいる。今日のどこかのメルマガで「コスメジプシーを卒業しましょう」とかあって。これは放送に乗せたらあっという間に問題になります。そもそも、ジプシーはロマ族と言う民族が色々と追われた身の中で居住がないことから来た「修飾語」。要するに差別用語。
「バカチョンカメラ」も同様。「バカでもチョンと押せば」という意味もあるらしいが、「ちょん」には国家的な侮蔑用語があるわけで・・・結果として使っていい言葉ではないと思うのです。

まぁ、「差別はなくならない」とかいう現実主義者、ニヒリストもいますけど。
アタシはね、一人ひとりの考え方とその人間への教育のあり方だけで変わると思うんだけどね。家庭なり学校なり。
あとはその中でその人間が考えたことを生涯教育として学んでいくと言う姿勢を設けてあげることって言うのかな。
ホンマにさ、このところ、すごくメンタルティーな部分で疲弊しまくってます。

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2008年11月19日 (水)

ピアスを何にしようか思案中・・・

まぁ、結局シルバーのものと、石のもの(例えばジルコニアダイヤとか黒瑪瑙とか)とを用意するんじゃないかなぁ・・・と思う・・・。
ちなみにまだ穴が開いている段階には程遠いですが、スワロフスキーの透明クリスタルが埋められましたが・・・;;;
あ~・・・ちと間違ってますかね、あたし。

シルバーのものは色々とあってもいいかなぁと思ってますが・・・。
18Kとかもあってもいいんですが・・・。
プラチナは高くなりましたなぁ・・・キャッチ1個だけで350円とか・・・;;;
いんやまぁ、そりゃ希少金属レアメタルですけどね。
キャラグッズなんかでもシルバーのレプリカピアスとかもあるしねぇ。そういうものも考えていくべきかと。

ま、何にしても、イヤーカフも含めて、普通の同年代の男からかなり脱線し始めたことは事実ですな。ま、しょうがないんですけど。
で。
ともかく今週はちと忙しいので、はよう来週になって休みたいです・・・ハイ。

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2008年11月 2日 (日)

頑張らないっていうこと

アタシは、「頑張りません」。
それは努力をしないということでもないし、手抜きをするってことでもありません。
頑張らない、ってそのコトだけです。
「頑張って下さい」って言葉を、どれだけの思いで聞くことになるのか。普通の人はあまり意識もしないで使うだろうし、それを嬉しく受け取ることもあるだろう。
でも、死の淵にあって苦しんでいて、痛みに耐えるののが苦しくて仕方ない状態にあって、「頑張れ」という言葉を掛けてやることは鬼じゃないのか、と。死が身近に迫っていることが分かっているのであれば、それを30分でも楽にさせるってのも、その人にとっては幸せなんじゃないのか、と。
安楽死の問題は難しいけど、震災の独居老人の自殺がどれだけあって苦しんでいたのか、と。
「頑張っていきましょう」
簡単に言うけどね、そんなに甘い言葉じゃない。
だから、自分は頑張らない。
頑張って報われるなら、頑張り甲斐もある。そうでなければ徒労に終わる。苦しい険しい道をいつまでも登っていたら、そりゃいつかは息詰まりするし、場合によっては馬のように心臓が破裂することもあるんじゃないかな。
だから、自分は人にも「頑張れ」と言う言葉を極力控える。そもそもこの10年で両手で数えるくらいしか言っていないんじゃないのかと思う。

前進は必要だ。でも、大きい一歩でなくてもいい。いわば「漸進」でいいと思う。着実に進むことが、生き方的には自分に相応しいと思ってるし、そう思わない読者がいたとしたら、その人は急進的な生き方をすればいいと思う。それは感覚や価値観の違いだろう。
容易く物が手に入り、ちょっと前までは就職も門戸が開かれ、学校もゆとりが生まれている世代が増えてきた。不自由もあまりなく、自分のワガママも多少は通る世の中になっている部分もあるからというのもあるんだろうけど、自分至上主義が多すぎて困る。
「自分がカワイイ」「自分が一番エライ」「ほかの人間はカス」「ほかの人間とは関わるのもいや」など、個人主義を超えた利己主義の波は本当に強く世間をうねっている。自分と自分を取り巻く小さな環境だけの世界で世界の成長が止まってしまい、それ以上の世界を見ずに大きくなっているような感じがする。
そのくせ、「自分がプチカワイイ」ことに腐心する。
勧善懲悪なドラマを見て泣いちゃう、とか・・・持っている○○がカワイイ、とか。
「プチカッコイイ」ことにも腐心する。
だから「プチ不良」も増えているし、不良が主人公のドラマが増えて、不良の主人公があくどいことを考える狡猾者を成敗するというドラマも増えてきた。
そうではない人間はもう人間じゃないみたいな扱いって言うかね、まぁ弁論部にいる男子よりバスケやもしくはボクシング部の男子のほうがもてるのはしょうがないことだとは思うけどさ、でも実際問題そういう弁論部の男子がどれくらいに傷ついているのかとかは不問。眼中にもないからその人間の人となりすら知らないまま数年間を過ごしかねない。
先に書いた二元論ではないけど、「自分」と「他人」という大きな壁。本当は他人を知り他人との距離を知ることで自分を知るよすがになるはずなんだけど、「自分」を含めた小さい範囲で自分を知るだけで満足するってのは、何ていうか「小さい」。
「カッコイイ」「カッコよくない」、「カワイイ」「カワイクない」って座標軸も含めて、人を見る価値観というか評価をする部分というか、が・・・変わってきたのかもしれませんね。価値観とかの違いなんだろうけど、いい加減そのさじ加減の脆弱さというのかな、「了見の狭さ」ってのには気付いて欲しいな、ってのはいつも思ってます。

まぁ、とはいいなん。
こう書いていても、分からない人には分かってもらえないだろうし、長いことの先に分かるようになるのかも知れないけれども、本当にね、自分はそういうのを見たり聞いたりするにつけ、ホンマ苦しくなってしまうのですよ。

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2008年10月30日 (木)

二元論と「男らしさ」「女らしさ」の『愚』

そんなものに囚われたら、身が狭くなってしまって苦しいだけだと思うのよね。
そもそも、「男らしさ」「女らしさ」って定義できるのかね、と。

例えば、「男らしさ」を<力強さ>としたら、下手したらサッカーの日本代表がなでしこジャパンに比べてどうも・・・ってことを見たり、野球とソフトボールは球技は違えどあんな状況じゃ・・・そんなものを定義にすることは出来ないんじゃないか?
いや、違う<心の広さ>とかしても、じゃあ逆に女性の方は<心が狭い>という定義になるわけで、女性としてはそんなの許しておかないでしょう。
<たばこを吸ってさまになる>。なんてのもいう人がいるかもしれないけど、そもそもそんなの戦時中にロシアへの兵士への資金集めだったわけでね。それをかっこつけたCFを作ったアメリカのものをして言ってるのであれば「流されやすい」ってことでもあって、そんなのがいいことなのかね、と。加護が「たばこはやめられない。さまになる女優になりたい」と言っていたけど、なって嬉しいのかどうか。良く考えていないで発言しているような感じがしてね。いずれヌード写真集で終焉だな。
<甲斐性がある>ってのも聞くな。でも、じゃあこれも女性は「甲斐性がない」ってことなのかね、と。それも無理があると思うのだわ。

で、一方の「女らしさ」。
<か弱くて優しい>。今そういう女性が存在しますかね。そもそも「優しい」はいい。「か弱い」ってのは男性に対して抗わない、ってことからあったことであって、それを良しとしてしまうのはどうかと。
<優美で美しい>。女形はどうなる?そもそも美しくなければ女性じゃないのか。性的に女性であれば、それはもう「女性」であって「優美」とか関係ない。胸の小さいことをコンプレックスに豊胸手術を受ける人もいるけれども、そこまでして「女らしさ」を追求することに意味があるのか。そして乳がんで摘出した女性もじゃあ「女性らしくない」ということにもなる。だから、自分はこれにも与しない。

田舎に育つと、「男の子は男らしく、女の子は女らしく」と育てられる。
自分もそうで、結果としてそれに反発して生きてきた。厨房にも入るし、まぁ長髪の時期もありましたわ。学校にスカートで行ったり。
「男の子は元気なくらいでいいんだよ」
と、いじめを擁護する親(祖父母)も多くて、多少ナヨッとした自分に対しての世間の目は冷たかった。先生でさえ、「もっとやり返していいんじゃないか」などという始末で、あまつさえ女性教諭までそういうことを言って、「巨人の星」を槍玉に上げ「そんなのに負けていたら男になれない」とか、もう訳の分からん中で育ったわけです。
ということもあり。
この二元論にはとことん深く抉って行こうと思って生きてます。

ま、男であろうが女であろうが「その人らしさ」ってのは重要だと思うわけですが、要するに個人主義であって。正直性別で人間を量られたらたまったもんじゃないです。その人の行き方は何通りも色々な可能性を秘めているわけで、その人の中での「男らしさ」「女らしさ」を持っているのであればそれでいいんだけども、世間一般的には「こう」と言うモノが存在していて、それに反しているものは「おかしい」と出る杭を打っている状況ってのはね・・・。
良くないだろ、と。
アタシは、ミツルも七海ちゃんも空くんもツナだって「オトコ」だと思っている。「らしい」かどうかはさておいて、まぁ・・・おそらく「らしい」んだろうなって思う。でも、それを確実たる定義を定められない。それがね、この言葉の本質なんじゃないかと。色々な人が色々の定義を持ち、人によってはその定義が難しいから「そもそもないと等しいんじゃないの?」という人まで含めて。
簡単に言える言葉だけに、難しいってコトです。

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2008年10月12日 (日)

夫婦揃って風邪ひきました・・・

何でしょ・・・。
火曜日に喉が痛いなぁ・・・ってなって、でも連休や発行日近辺にも連休があるため校了日が前倒しになるなどがあって、忙しさが増し、病院に行けずじまい。
ともかく、漢方の「甘草湯」を飲んでしばらく様子を見ていたら、今度は喉の痛みより咳と鼻水が来まして・・・。
ようやく金曜日に解放されたので、土曜日に行って来たんですが。
そしたら、相方も金曜日の夜ごろから調子が悪くなったらしく、いよいよもって土曜日の朝に酷くなったとかで一緒に行くはめに。

今月は病院に何度かかるのか・・・;;;

で。
まぁ今週末は何かしら予定があったわけでもないのでゆっくり休みますけどね。で、来週の半ば頃に平日にお休みが取れるので、一緒にオタクデートをしてきますが、そのためにも養生せんとあきまへん。
中野とブクロで、ちょっとコス服を見てくる。
たま~に掘り出し物があったりします・・・。
で、ご飯を食べつつ、アキバもちょっと見ますよ。広めのメイトでないとなかなかグッズが見当たらないことも多いので。欲しいものがこれといってあるわけではないですが、見たいのはいくらでもありますし。
そもそも、ACOSも見てきたいしね。<ブクロの実店舗。
そんな中なのですが、とりあえずコス福袋で必要ない作品のキャラのものは売りに出すことにしました。人気作品ではあるのですが、どちらも着ないので。
まぁ、自分ももうやるかどうかも分かりませんしね。家で細々と着る可能性とか、知り合いとロケる可能性はありますけども・・・。

何にしても。
行くためにはきちんと直さないとダメなのです。
自分は治りかけですが、相方がなぁ・・・そっちはそっちで仕事が立て込んでいるらしく。
どうしようもないなぁ・・・。ホントに。

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2008年9月27日 (土)

笑顔の中の悪意、失意の中の希望、泣き顔の中の幸せ

ようやく「魔法遣いに大切なこと~夏のソラ~」を見終わりました。
まぁ、前作を見ていたからこそ見ていたんですけどね。どっちかというと男性向けって感じもしなくもなかった作品ですし・・・。
魔法遣いに大切なこと~夏のソラ~ 1(初回限定版) 前も最終回では泣きましたが、今回はちょっと話が分からなくて整理してもう一回見て、ようやく合点がいきました。
そうなると、「哀しいなぁ」と。
自分は北海道に1度旅行に行っています。
多分また行くと思います。
前は旭川からオロロンラインを通り、日本最北端のコンビニ・セイコーマートに寄りつつ岬の突端まで行ってきました。
今度は知床方面から風連、サロマ湖などを経て宗谷を目指したいな、と。
で、ソラの故郷の美瑛などを経て帰って来ようかなとね。

何にしても、こういう話に弱いのよね・・・自分。

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2008年9月16日 (火)

結局連休もイベントには行かなかった人

ま、理由はどうであれ、ともかく動けなかった。
どちらにしても、前日から気分が優れなかったというのはありますけども。

ホンマにこの所苦しくて、息切れとか多くて動悸も多くて、おちおち寝られないことが多いのですね。ともかく「このまま起きられずに死んじゃうんじゃないか」と思うこともある。
で、うまく寝付けないと。
本来であれば、今週はちと過酷な週なので、寝付きたい気持ちが多かったんですけどね。

人は何故生きているんだろう、何故死ぬんだろう、死ぬってどういうことなんだろう、とか頭の中で巡っていきます。
アキラは先割れスプーンさんをして言いました。
>「心臓が止まって、脳の働きが止まる。死ぬって、ただそれだけの事だろ」
と。
まぁ、物理的なことを言えば、それは間違いじゃないし、そのあとに大地に還るってのが自然の節理って言えば摂理なんだけど・・・。
そうじゃなくて、もっと何かあるような。
自分だけの世界で、自分だけが生きていれば、それは物理的にも社会的にも正しいように思うけど、そうじゃない世界に生きている自分たちには、そうではない部分の方が多いのではないかと。
それが何なのか。
そういうことを考えていました。
第三者にとっては、人が死ぬことはニュースで聞く限りではよほど好きな芸能人でもない限り、もしくはよほどセンセーショナルな事件に巻き込まれた凄惨な事件の被害者でもない限り、ただ流れていく情報にしか過ぎないことがある。
そしてこうして書いている間にも、交通事故死や自殺者は絶えない。行旅死亡人もいる。
それをイチイチ気に留めていたのでは、確かに気がおかしくなってしまうかも知れない。だけど、その人間の特に想いや悩みというものを考えるだに、どうしても気になってしまうのです。

何故「生」を受けたのか。
自分の場合は望まない「性」として生まれ出でたような部分もあり、更にその考えを強くする。
人間はいずれ滅びるだろうと思うと、自分の存在なんて邪魔なものなんじゃないのかと思うこともある。地球環境にもちょっとは貢献するのかも知れないのでは、と。生きている限り、地球の海面は上昇を続け、ホッキョクグマの棲息が危ぶまれるのを、自分一人の「死」では食い止めることは出来ないかもしれませんが。
何故年老いて弱っていくのに、生き続けなければいけないのか。
そもそも、「死」を待つということが何を表すのか。それだけが人生なのだとしたら、人生ってのは「死ぬために生きる」ことになる。まして、DINKSとして子どもを望まない生き方を望んでいるという自分としては、特にそういうことになるんじゃなかろうかと。

行旅死亡人という死に方も悪くないなと思うようになった。
誰知らず看取ってもらえないのも、自分の存在や生きてきた生き方、(長男なのに跡継ぎを欲さないDINKSとかさ)罪状とかを考えたら、その方が正しいのかも知れない。
自分に対する罪はそういうことでしか贖えないのではないかと。
自分が好きでやっていることも、人に迷惑をかけているのかもしれないし、仕事だって100%を出せるわけがなくて結果的に「詫び訂」を出す羽目になるのを見ると、居た堪れない気持ちになって正直辛い。
仕事に100%前向きになんてなれない人間だし、趣味にはなるべく100%を目指したけど、それも「本当には程遠い」訳であって全然下らない域を出ない。

畢竟ずるに、自分がこうして存在していること、を考えてそして泥のように沈んでいくのです。今日も沈んでいくのです。
余計なことを考えず、ただ前向きにもなりたいし、とは言え人を傷つけてまで自分の優位性を示して喜悦に耽るようなことはしたくないけど、何にしても自分のダメさは、いつまでもついて回るものだなぁ・・・って思うのです。
就職氷河期の時に大学を出て苦労した。
厚生労働省あたりのエライ人間や現在の舛添要一あたりがここを読むわけはないのだが、ちょっとはどうして少子化になっているのか、将来に希望が持てない人間が出てきてしまうのか、もっとリポートではない形で分かって欲しいと思う。

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2008年9月14日 (日)

人権無視と人格無視は、殺人と同じようなもの

だと思う。

その相手の人間を敬わなくても、最低限敬意は必要だと思う。
でも、それができずに何かを言われて逆ギレしたり、意味もなく回りに流されて様々な立場の人間に要らぬ差別発言をしてみたり。
それによって苦しむ人がいて、人によっては名前を変え表情を変え、生きていくことを決意する人さえいる。要するに人格の自殺、だ。
であれば、その要因になった人間は「自殺幇助」程度の罪の意識は持ってもらわないといけない。

O農水相がまた消費者を舐めた発言をした。
まぁ、いつものことではあるのだが、いつでも高い料亭で確かなものを食べ、ジャンクフードやファストフードを食べるようなことのない人間には分からないのかも知れないですね。消費者が。
まず、安全だというなら、自分でありったけの事故米を塩結びにして食べればイイ。
できないなら、言っていたことも納得できる。
多分しないだろうが。
消費者とかに対して、人権を無視しているとしか思えないのよね。人格も否定しているような感じ。
そもそも、自分の票のことや将来の大臣の席のことが頭にあって、一般消費者を見ていないってのが大きな罪であってね。
その事故米を食べて確かに死ぬことはないとは思うが、それを「いいんじゃない?大丈夫じゃない?」と言えてしまうそのことは軽い殺人的な発言に思えてならないんですが。

まぁ、大臣に限らず、一般的に生きていても色々と発言で物議を醸す人は多い。A候補だって結構色々と毒舌を吐いては一部の人間から「神」とか言われて本気になって喜んでいるようだけども。
何にしても、ちと人権を振りかざすつもりも毛頭ないけど、でも全く無視したような言い方とか考え語ってのはどうにかならんものかと。
もう「ナチス」ですよ、そんなの。

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2008年9月12日 (金)

何でこんな思いをせにゃならんのだ

人は禍福が糾えるが如し、ってのは分かってる。
でも、「福」に近付こうとしたら、「福」ではなくてやっぱり「禍」があったというかんじで。

詳しくは何だかとか言えないし、どうこう言えるような状況にないんだけど。
人はここまで非情になれるんだなっては思う。
鬼は人の心が生み出したものというし、ある人がどうやって追い詰められてどうやって苦しんで孤独死して行ったかとか、すごく良く分かる。
北九州の例もそう。
あとは阪神大震災の後の仮設住宅もそうだな。
最近では「老老介護」ってのもその範疇に入るのかもしれない。

いじめる人間にいじめられる人間の気持ちが分からない。
いや、分かろうとしない。
それは「弱いこと」であり、それが「恥」であると信じて疑わないから。そしていじめられる側には立ちたくないから。そうなることで、自分が傷付くことも知っているから。だから、傷つける側に立つ。その方が傷付かなくて済むし、人によっては快楽さえ覚えるようになるから。
それは以前に監獄実験の話でも書いた。
でも、中には「人を傷つけることを本当は良しとしない」のに、それに加わらざるを得ない人間もいる。これは本当に不幸です。
「優しさ」の語源が「(人の気持ちを思い遣るがための)痩せ易さ」だと何度も書いてきた。
「優しさ」が「弱さ」だと思っている人もいる。実際、小学生の頃はそういう声を何度も聞いた。「強い」ことが第一義で、弱いものは虐げられても仕方がない、と。
ちょっと前にも精神障害者に対しての暴行についてそういうことを言っていた少年がいたらしいけど、少年だけじゃない。会社にだって多い。自分には幸い今はないけども。いい歳した大人が電車の車内で方が触れ合っただけで喧嘩になって殺人まで行く。池袋駅での大学生が殺された事件の犯人は未だに捕まっていないし、あれはいい歳した大人だっただろう(イラストを見るに)。自分より下だと、虐げて自分を上にあげて喜びを感じる。
・・・・・・私には、凄く薄ら寒いけどね。
そんな、生き方が、本当に正しいのかね?
正しいのであるとしたら、今世界はまだ「正しい世の中ではない」と言うことにでもなるのかね?
私には分からないです。

何にしても。
弱くてもイイ。声を上げられる。息をしている。涙を流せる。感動できる。人を笑わせることができる。人の役にも立てる。
勝ち組ではないけれど、自分は自分の仕事に胸を張っているし、その中で人とコミュニケを取ることで生きている。
負け組でいいんです。今の状況をケタケタと笑って過ごしながら自分が上位にいることをこれでもかというくらいに満喫できて、かつそれを自慢して生きているような人にはなりたくないだけです。人として、恥ずかしくなく生きたい。自分の使命や想いや信念は恥じることがないもの。
お金とか美貌とか若さとか性別とか背丈とかなんて、記号論でしかない。
それで上位にたつなんて、人間臭くない。
Cureの広告に良く出てくる「履くとモテるドットコム」じゃないけどさ、私は今の自分を一生懸命にやるだけだね。仕事を中心に。家庭もだね。記号論なんて、次の次以下だもん。

何だか、訳が分からない感じになっちゃったけどさ、ともかく・・・読者の「幸」多からんことを。

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2008年7月14日 (月)

寝られん;;;

かといって睡眠導入剤を呑んだら朝に起きられなさそうだから呑めないし~;;;

久しぶりに蔵馬くんのコトをこれでもかって位に考えてます。
おかげで寝られないのかも知れないな。

ただ、やっぱり好きでどうしようもないのは如何ともしがたくてさ、ホンマに自分が3次元に生きるコトを後悔したい位でね;;;
まぁ、どうしようもないコトで変えようがない現実が目の前には山積してて、それからは逃れられないんだけどね。


蔵馬くん以外にも好きなキャラを考えてしまう夜は本当に寝付けなくなります。
色々と頭で堂々巡りなコトを考え過ぎちゃってね。

本当に、自分の存在が危うくてそして如何とも出来ないもどかしさに、頭が暴走し始めてしまうのよね。
なかなか自分は上手くは生きられない。不器用ですから((c)高倉健)。でもまぁ、それはそれで自分は自分で認めてあげなきゃ仕方ないのよね。死ぬまでこんな感じなんだろうな、自分は。

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2008年6月22日 (日)

雨の日というより気圧の低い日は

たいてい泥のように這いつくばりながら寝床から出てきます。
今日もそうでした。

血圧が低い(一番の最低(?)記録は下が48、上が96ということがありました)こともあり、体が言うことをきいてくれないことも多いんですよね・・・。
ま、虚弱体質、ってことになるんですけど。

で、血圧は昔の一時期に比べては人並みにはなっているんですけどね。
力が入らずにフラフラと歩くことも多いです。危ないですね・・・;;;ハイ。
仕事に行くのも満員電車は危険です。押し出されてそのまま倒れたこともありました。
まぁ、誰も助けてはくれませんけどね・・・、東京は砂漠だってことですかね。
とはいえ、後ろから急に腕が伸びて、「大丈夫ですか?」って抱きとめられてしまうのも怖いですけどもね・・・;;;
2次元なら自分の中ではされたいシチュエーションなのかも知れませんけど、3次元ではありえませんしね。

ってなことで、しばらくは雨の日は続くし、モチベーションが上がりにくい日が続くんだろうなって思います・・・。

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2008年5月29日 (木)

河合雅雄の本を読んでいただきたい

子どもと自然 (岩波新書)
非常に良著です。<「子どもと自然」(岩波新書)
自分の中ではバイブル的な存在でもあります。

河合氏は人間を次のように分けて考えています。
一つは「チンパンジー型」。もう一方が「オランウータン型」。
前者は様々な行動から結論を導くタイプであると指摘し、後者は一度行動に出てみて、そこで立ち止まり思考に思考を重ねて結論を導くタイプであると。つまり、チンパンジーはケースに入ったエサを色々といじっているうちにどうやって「取れる」のかを学び、オランウータンは一度熟考した後に「取る」ことを学ぶということの相似形です。

河合氏は言います。
「人間は愚かである」と。戦争をして来てなお、反省もしないから。でもって「一度『サル学』を通して人間を見てみたい」と。
その結果として、こうして「子どもの教育とは」を語っているのです。
今この社会では、「チンパンジー型」が好まれ、そのタイプであることを求められます。しかし、同じ時間で「エサを取る」、要するに知能は同じである「オランウータン型」でも同じことであり、その良さを伸ばしてやるべきではないか、と語っています。
http://www.hal.ne.jp/chizu689/ed/happy4.htm
(関連リンクとして、それに就いて解説している小児科医の先生のページをご覧下さい。)
これは、子どもの教育に限らず適応できるのではないか。無論、人間社会とサルの社会は別個のもので・・・という考えも出来る。しかし、そこから何か学べないのかと立ち返ってみると、面白い発見もあるのです。

人が生き、そして成長する過程に於いて、そこから何かを見て欲しいと思います。
「個性を伸ばそう」というスローガンで教育がされているとは言え、絶対的に個性の「のびしろ」が小さい社会。結局、何か一つに執着しているからではないかと、私は思うのです。
オランウータン型には、本当に生きにくい世の中です。
でも、それも個性で「別な形があっていい」と生きていける、そしてその「個性」をよりよく発揮できうる社会であって欲しいと思います。
後ろ向きな人も多く存在します。でも、それは「暗さ」というのとは違う。ただ明るいだけではなく、一度考えてみる、ということをしているのでしょう。結果として「動いていない」と思われることも多い。でも、実は動いているのです。「根暗」と「根明」、色々とあって当然なのです。でも、オランウータン型は「根暗」として片付けられて「社交的ではない」などとされてしまうし、そういうレッテルを張られてきています。だけれども、実はそこには理路整然としたその人間なりの「哲学」があってからこそのものであることを認識しなくてはならないでしょう。

子育てを控える人だけではなく、多くの人に読んでもらいたい著です。また、知って欲しい話でした。

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2008年5月26日 (月)

優しさと弱さを履き違えるな

特に、学生の頃はおそらくそう思う人間もいるんじゃないかと思うのだが。
大人しくて、若しくは秀才を「弱さ」として見る向きは自分が小さい頃から既にあった。今もたまにそんな話は伝え聞く。

大人しい。優しい。
これはその人間の長所。それを「弱さ」と卑下してからかったりすれば、それはその子も塞ぎ込んでしまうのではないか。
大人も、それを守ってやらないといけないんではないか、と思う。
秀才。
人によっては当然あくどい奴もいる。イイ大学に行ったのに、頭を使う方向を間違って「架空請求」などで捕まる大学生もいるくらいだしね。
でも、多くは真面目に自分のやりたい職業のために頑張っている人なんじゃないのか。それをあざ笑われたら、そりゃ大変な苦痛だろう。
大人は、それを伸ばしてあげなければならないのではないか、と思う。

私は前に書きました。
「声優になるのに中学を出ていきなり専門学校を目指すのはオススメしかねる」と。
だって、例えばNHK教育の教育番組にナレーターとして呼ばれるかも知れない。その時に全く無知だったら、もう仕事には呼んでくれないだろうし、源氏物語を元にした話のアニメをやるという話があったら、そのストーリーも何も知らず、台本を貰って読み込んでそれの読解力もなかったら、おそらく「何の演技もできない」。
であるから、最低限でも高校は行っておいて損はないし、大学で演劇の勉強をした方がイイと思うと、書いたのでした。

やりたい職業のために、最善を尽くす必要はある。
だけど、最短ルートを辿ろうってのは無理がある。余程の生まれ持った天性でもなければ、多分にある程度寄り道をしながらではないと、できないんじゃないかと。
その「レール」を自分で探し、見つけ出し、また研究しては歩んでいく。
それができないのであれば、おそらく埋没してしまうんじゃないかと。

色々な道があって、それを自分で踏みしめる。
可能性は様々な方向に向かっている。
優しい人間は看護師とか保育士。秀才であれば温暖化の危機への打開策の研究。どういう方向でもありえる。
だからこそ、「出る杭」を伸ばしてあげるべきなんだろうと思うんだけどね。無論、悪い方向へ伸びた杭は更正をさせてやらないといけないと思うが。
とにかく、型にはめた「思い込み」「レッテル」の呪縛からは解放された形の次代を作って行って欲しいと思う。

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2008年5月25日 (日)

取り敢えず今日は行く予定をキャンセル

自分も相方(カミサン)も月曜日に仕事あるしさ。
つか、まぁ、色々とね。
コス服に袖を通すのが怖くなってしまった、というね。
この恐怖症が、どこまで続くのかはわからないけど。そのままフェードアウトするってのもあるのかもしれないけど。
何にしても、月の初めごろまでは25日にはイベントに行く予定だったけど、キャンセル。
行きたくないわけじゃない。
でも、行けない。
色々と頭の中で反芻しているんだけど、やっぱりダメだってなった。

このブログの名前を変えました。
中島みゆきの「宙船」の一部をお借りしました。
自分としては、自分が消えることで喜ぶ者のために、オールを投げ出したくはない。
でも、そこから逃げなければ、自分が好きなキャラまで見ていることが辛くなってしまいかねないくらいの「苦しさ」を覚える。それは、そのキャラに対して申し訳ない。でも、もしやってることで「申し訳ない」ようなものであれば、それはそれでもうやらなくなることもアリなのかも知れないとも思う。
一方で、「止めないで下さい」って声も聞いている。
ありがたいと思う。
でも、自分は遅くに始めて、しかも相方がいない。相方がカミサンということにしているけども、ジャンルが違いすぎるために実際には「同行者」でしかない。一緒のジャンルをやれる人があまりにも数少ない。関西にいる人だけだ。仲間とか相方がいれば、もうちょっとは違ってくるのかもしれないけれども、なかなか難しい。
ただ、だからと言って・・・自分が指を咥えているのもどうかとも思う。
だから、このブログの名前を変えるにあたって、魯迅の有名な一節をブログパーツとして追加させていただいた。

魯迅(鲁迅 ピンイン Lǔ Xùn)~『墳』の後に記す~より
私の書いたものを偏愛している顧客には一点の喜びを、私の書いたものを憎悪する奴らには一点の嘔吐を与えたい――私は、自分の狭量はよく承知している。その連中が私の書いたものによって嘔吐を催せば、私は愉快である。そのほかには、何の意味もない。
私は、別に嘔吐を与えたいとは思わないが、少なくても何かを分かってほしいと思いつつ文字にしている。でも、分かってもらえないならば若しくは分かろうと試みない、またはそれを下らないものと唾棄するようなのであれば、それならそれで良い、その道でどうなるかをじっくりと観察してやろうではないかというスタンスに立つ。
当然、自分の文章力や表現力を含めての技術的なものや、自分の半人前であるところによる知見の浅墓さも承知しているつもりである。
だけれども、その上でではあるが、物見遊山と洒落こもうじゃないかという感じになっているのです。それ以上の意味は持ち合わせていないのです。
ここまで読んで、下らないと思われるのであれば、もう来ない方が賢明です。自分の考えや文章はその人には絶対的に合わないものであろうから。でも、それが事実でありリアルです。であるなら、もう放置していただく他はないのではないか。かく思うのです。
ただ一つ言えることは、人は人を変えてしまうということです。影響力は誰にでも持ち得り、結果として伸ばすことも消し去ることもできうる。私の文章で嘔吐を催すのであれば、それは私がその人間に対してした「影響力」に他ならないでしょう。一部の人間に偏愛とまではいかないまでも相応に評価をいただくこともあります。それが人の「右か左か」のような二分化した際の「差異」と言えるでしょう。それはよほどのことがない限りには(特にネット上のみであってリアルなものでなければ)まず相容れられることはないでしょう。
諦念観とは違う意味で、互いはもう見ない方が幸せなんじゃないかと思うわけです。
だから、もしちょっとでも奇異を感じるのであれば、ブラウザを閉じ、履歴を消し、ここにいらしたことをきれいさっぱり忘れ去った方がよろしいかと存じます。本当に、それ以上ではないのです。

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2008年5月24日 (土)

楽天的というか楽観的というか・・・

まぁ・・・、プラス思考はいいことだろうと思うけど。
だからと言って、有事に備えてなけなしのお金をはたいて核シェルターを作るってのは行きすぎだとは思うけど。

人々があまりに楽観的すぎる・・・。
いや・・・多分に違うのかな、「どうにかなるか」という日和見主義というか。
そりゃ、どうにかなる人もいるんだけどね。で、何とかなることもあるんだけど。
でも、様々な事件が起こって、信じられないようなニュースが飛び込んで来て。それにいちいち疝気に病んでいたら、体も持たないだろうよ。でも、聞かざるを得ないと思うんだけどな。人間は過去やニュースから学ばないで、机上で勉強したからって何が分かるのよって思うのですよ。
例えば、ミャンマーのハリケーンの惨状ってのはさ、軍政だから起こったってのもあるわけで、それをどう受け取るのか、ってのは重要だと思うんだけどね。そんな事件のちょっと前には日本の航空幕僚長が小島よしお宜しく「そんなの関係ねぇ」とふざけた発言をして、そういう人間が「国を守る」とか言い放つのを見ると、「守られたくないね」って、私は思うけどね。クラスター爆弾やら地雷などの支持派だしね。蹂躙されようがなんだろうが、巻き込まれて犠牲になるのは一般市民レベルということを考えると、ミャンマーの軍政も我が身かな、とかちょっとでも思わないかというとウソになると思うんですけど。
閑話休題。
ともかく、私は「うるさ型」と言われようが「長屋の義太夫」だろうが、間違っていることに関しては「間違ってます」と言いますけどね。それを人によっては「何かのシンパか」とか排斥してみたり、若しくは「変な奴から罵倒されたよ」とか言っては反省もしなかったりする人もいるんだろうと思うけど、それはそれとして、別次元の人間と思うしかないんじゃないのかな、って思いますね。
間違っても北朝鮮やチベット排斥の中国を支持はしないけれども、だけど実は一部の思惑(方向は逆だけれども)では同じようなものを考え崇拝している人間もいるってコトなのよね。
ホントにさ、楽観的に物事を考え発言できる人が、ある意味羨ましいと思いますよ。

これはこれ、あれはあれ、つまり右は右、左は左、楽観者とそうではない人、うるさい人と静かな人、基本的なベクトルの違いは存在して、それを各々箱に分けていけたらそりゃ紛争もなくて平和なんだろうと思う。でもそういうわけには行かないから、今こうなっているんだろうと思う。
カオス状態。坩堝。
言い方はいくらでもあるけれど、そんな中で生きにくいなって思って息が詰まるような思いをするのは、いけないことなんですかね?
何か、「そんな辛気臭いのはごめんだ」ってそういう方向になっているような感じもしてならないんですけど。でも、まぁ・・・私は辛気臭くしているつもりは毛頭なくて、実際に面白いことは好きだし、笑う人間です。会社でもそりゃ煮詰まっていたら眉間に皺も寄るけれど、そうではない時にはちょっとは明るい話題も出しますよ。
でも、「臭いものに蓋」はしたくない。だから、長屋の義太夫を延々と聞かせているんだろうと思います。辺鄙でグダグダだけどな。

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二面性と、後悔しないこと。

後悔した生き方はしたくないと書いてきた。
でも、実際の所、後悔せずに生きてこられた人間なんていないとは思う。
実際に、自分もあの時にこうしておけば、というモノはいくらでもある。
「たら・れば」は言い出したら枚挙に暇がない。

だから、取り敢えず、前は向く。

性善説と性悪説にも通じることだけど、人が二面性を持っているというのは言うまでもない。自分だってないわけはない。
思うところは沢山ある。
実際に会社でも「ふーん」とか思いながら仕事をしている人間もいる。
顔では笑ってても、心では「しっかりしてよ」って思ったり。
だけど、口には出さないけどね。よほどのことでもない限り。
でも、言うことで自分を維持しようとする人もいる。閉じ込める人もいる。そこら辺はひとそれぞれ。また、明るく振舞っていることが大前提で「楽しく生きる以外にない」という人もいれば、そうではない人もいる。実際問題で言うと、後者は今では古代の化石だけどね。自治会や積極的にボランティアとか政治に関心がある大人の子供ほど、あまり親のそういう部分を快く思わないという傾向も報告されているほど。
ただ・・・何にしても。
親は親。子供は子供。
違っていい、けど。でも、その乖離ってどういう所から生まれたんだろうって不思議に思う。
世代の差、だけではないように思うんだけどね。「友達みたいな親子」が殖えつつあり、一方で虐待も多く存在する。昔は「尊属殺人」と言うモノが存在したけれども(今は憲法違反と言うことでなくなったけど)、それより酷いからね、「力あるもの」が「弱きもの」を虐げるってのは(だから「尊属殺人」より「子供への殺人」の方がより罪深いと思う)。

年上だから偉いとか、性別はどちらかだから偉いとか、そういうのはなくてもいい。
でも、「力」とか「地位」を傘に着て、若しくはいわゆる「虎の威を借る狐」であるのはやはりおぞましいと思う。言ってみたらハラスメントだからね。パワハラ。
ただ、そういう状況になると省みることなく後悔もしなくなるのかもしれないな、と。
そういえば、こういう話を思い出す。
ある社会実験で、「看守」と「囚人」をモデルに閉鎖した集団の中で生活をさせていた結果、あまりにその中で「看守」から「囚人」に対する問題が起きすぎて、実験は途中で中止になった、というね。これをスタンフォード監獄実験、と言いますが・・・。似たような実験にアイヒマン実験というモノも存在しますので、詳しく知りたい方は詳細を記したHPも数多くありますのでそちらをご覧下さい(私は心理学のプロではないので)。
人は、集団リンチなどに顕現するように「たむろ」すると、気が大きくなりやすい。結果として周りを見られなくなることも得てして多い。その中で異を唱える人間はいれば、途端にその人間は排除され、戦時下の日本で言う「国賊」と同じような目に遭いかねない。

現在の社会では、基本的には「破壊活動防止法」(破防法)などを除けば「思想の自由」は確立されている。
けれど、実際にはほぼ人は押し並べて同じ考えを持ってしまうことが多い。要するには、マスコミの報道を鵜呑みにしすぎて、自分での判断ができないってコトが問題ではあるのですが。

後悔はしたくない。できうる限り。
で、自分の足で立ち、自分で考えたい。
パスカルは言いました。
「人間は考える葦である」と。

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2008年5月23日 (金)

いい大人がさ鑑にならないで

どうするよ?

今、電車に乗ったらご婦人に割り込まれた;;;
まぁ、子供にも「人に迷惑かけても割り込んで先に座った方が勝ちだよ」って教えてきたんですかね;;;
ま、今の社会ならその方が正しいかもね。

で、ご婦人を見たら何が悪いのかシラッとした涼しい顔。何も言えんですよ。もぅ……。


私は立つのは我慢できますけど、最初に並んだ自分が馬鹿を見るってのはもう何だか納得し難い。恥というか、品格ってのはもう皆無なんですかね;;;
取り敢えず、歳を召していらっしゃるんだろうし、譲ったと思えばいいんだけどさ、でも自分が年寄り扱いされたら怒るくせにね;;;
結局、自分に都合のイイ所だけを権利だと叫ぶタイプなんだろうな……。


あ~何かホントに鑑にならんオトナが多いのは何とかして欲しいなぁ……。そりゃ、子供にも厭きられると思うけどね。

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2008年5月10日 (土)

せっかく長く寝ようと思った土曜なのに

金曜日の夜に最後のブログを書いて、眠くなったから寝ようと寝たのはいいが、5時には目が覚めてしまったというね・・・。

ごみ出し行こう・・・;;;
って言っても、捨てるのは潰したペットボトルくらいしかない・・・。
(何かねぇ、ペットボトルを捨てに行くとまずラベルを剥がしていなかったり、潰していなかったり、洗っていなかったり・・・結構ルール違反の人もいたりして、「アカン!」と思ってまうのですが・・・。)

ちなみに、今週の土日はゆっくりします。
というのも、雨が降ったり寒かったりするらしいので・・・。
寒いのは苦手です。
あと、久しぶりにきちんと料理をする時間が取れそうなので、それをやろうかなと。またパスタになるのですが、前はペスカトーレだったので、今回は日本発のパスタ、イタリアンでも作ろうかなと思いつつ、でも辛めにしてアラビアータになる可能性も大。
・・・パスタマシーン、買おうかな。
つか、仕事場のあの編集部で前に読者プレゼントしていたんだけど、そのままくれないかな~とか思った人。PS3かブルーレイレコーダーでもいいですよ、と言いたいところを、グッと我慢してパスタマシーンなので、くれてもいいかなぁって思ったり。そもそも、かなり貢献してますよ。言えないことばかりだけどね、守秘義務で。でも、かなりの(広告ではない)読み物・付き物・コラムなど、いくつ直してきたことか・・・。
当然、間違ってしまって「あう(-"-)」となったこともありますけどね、つい最近。とある地方都市の県名を間違ったままにしてしまいました。あれは流石にきつかったな。地理ももっと勉強しなければ。合併だの何だの、かなり面倒なことになっていて疎かになっていたと思うのよ。これではアカンのです。

さて・・・。
とはいえ・・・。
もうちょっとだけ寝ようかな。
ホンマに、寝る時間がばらばらになってまう。

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2008年5月 9日 (金)

ハッチンソン・ギルフォード・プロジェリア症候群

という病気をご存じですかね?

石田衣良が「14TEEN」で描いているものですが、何度かテレビでドキュメンタリーなどで放送され、そのたびごとに思わず様々なことを考えさせられるのですが。
いわゆる「早老性疾患」、この病気の場合、平均寿命は13歳です。

それに比べ、われわれ日本人は80歳を生きられるのが平均ですよね。
平均寿命が短いとされるシエラレオネやスワジランドでも37歳ですし、その点から言ってもかなりの難病と言えます。
アシュリー

一体。
12~3歳という多感の年頃に於いて、自分の体が100歳を超えたような体となり、そういう状況下でその子は何を感じて生きるのだろうか・・・。
そして、家族は。
現在、日本にはこの病気の患者は報告がありません。アジアだと中国に一人いて、全世界では30名ほどの病気だそうであるが、それにしても「15歳ではほぼ生存できない」ということを知ってなお、また自分の姿を見てなお、「自分だったら・・・」と思わずにいられません。

人は元気なうちは、病にかかることを考えません。
幸せなうちは、不幸を訪れることを考えません。
ですが、いずれ自分の最愛の人間には別れを告げる日が来る。それは、生けとし生きる者は全員が通らねばならない儀式でもあるのです。
私は、いずれカミサンと別れる日が来る。それは、絶対に逃れられない。
だからこそ、一挙手一投足が大事だし、一日の一秒も大切にしたい。けんかもする。だけど、絶対にその時に後悔はしたくない。だから、自分はいつでも全力で愛するし、守る。そして、反対も然り。
本当に、後悔したくないのです。
だから、自分はやろうとした道をやり続けるし、今までも相当抵抗を続けてきた。挫けることも多々あった。でも、自分の中で正しいと思ったことは通してきたし、それは未来永劫変わらない。結果、カミサンを一生大事にしたいという気持ちも変わらない。
「一期一会」
とは使い古された言葉だけど、出会った奇跡は忘れないのです。たまたま自分がとある女性向けの漫画を好きで読んでいて、それと同じ漫画を彼女も読んでいて。とある雑誌の文通欄(その頃はメールとかなかったしな)から始まった「知り合い」。そしてたまたま出会うことになったきっかけ。そして仲が良くなっていった経緯。それは、「奇跡」でしかないのです。この地球にいる60億人の中で、自分が生まれてくる確率も低い。彼女もどうだか分からない。その中でたまたま出会えた奇跡ってのは、すごい偶然の中の偶然。宝くじの1等を数回当てるよりもきっともっと難しいと思う。
私は昔に書きました。
もう亡くなっている母親ですが、私が生まれる時、母親は重篤状態でした。小さい体で、通常の分娩では難しく、帝王切開になったからというものもあったようで、母親は生前に「雲の上に昇って行くような感触を覚えた」と言っていました。「川らしきもの」も見たとも言っています。まぁ、私はそういうオカルト的なものを信じない人間ではあるのですが、母親の言うことに関してだけは素直に信じられたものです。父親も亡くなっています。戦争に行った人間です。厳格な人間でした。その反動で今こういう人間ではあるのですが、何にしてもその2人がいなければ、私は存在していなかった。母親に関してはまだまだ色々と過去の出来事があって紆余曲折で私が誕生しているわけですが、何にしても今でも頭が上がらない存在です。母親の死に際は凄惨でした。病気で苦しんで亡くなった顔を、今でも思い出してしまうことがあります。化粧師がそのあとを上手にメークしていただいたおかげで、納棺時にはカワイイ母親になっていましたが・・・。
その親がいて、カミサンにも親がいて、そして生まれた今の家庭。
そして、外に出れば別な家庭があって、それぞれに生活を営んでいる。これも奇跡だ。

そもそも、地球に生物が誕生したのも奇跡中の奇跡だ。
太陽からの距離、アミノ酸が隕石によってもたらされ、最初の生物ができ、いつしか植物ができ、二酸化炭素が多かった地球は酸素が生まれて・・・。
何という、偶然で、奇跡。

これを大事にしなくて、どうするよ?
大事で大事で、しょうがないです。

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2008年5月 8日 (木)

男らしさって、女々しさって、カッコよさって

人には、それぞれの感覚に於けるベクトルを持っています。
人によっては、「抱かれたくない男ナンバーワン」の出川哲朗が大好きで仕方ないという人もいるでしょう。その理由が「カワイイ」「カッコイイ」なんでもあるんだろうと思うのです。
多分に、その人が育った環境、父親像や兄弟像、先生像などがそういうモノに投影されているのではないかと。

「抱かれたいナンバーワン」の木村拓哉が逆にとんでもなく嫌だ、と言う人もいます。その理由も「計算している」「元よりカッコイイと言う顔をしているから」などの理由があるそうですが、何にしても・・・多分にそれも育った環境とか、生まれてきて今までの「生き方」と言うモノが、そうさせているのでしょう。
ただ、日本ではメディアリテラシーがあまりにも疎かにしているため、テレビでカッコイイといわれている人間が「カッコイイ」の基本であり、かつ「面白ければそれでいい」というような「1億総白痴化」という大宅壮一の言葉のように、白痴化していっているのはもう止めようがないのかもしれません。そもそも、テレビを見なくなり、更に笑いや自分の主義主張にあった、かつ自分の主眼的なものに合ったものだけをチョイスして見る「ビデオオンデマンド」的な「YouTube」及び「ニコ動」などが生まれてきています。「1億総白痴化」どころでは済まなくなってきているのではないか、と私は常々思っています。
「面白くなければテレビじゃない」と言い放ったCXが今現在のテレビ局の視聴率リーダーであるように、結局のところはやはり・・・悲しいかな「面白さ」「(一般的な)かっこよさ」という物差しで、全てが測られてしまっているというのはとても憂慮すべきことです。

面白いことはいいことでしょう。
人生に笑いは必要です。ただ必要最低限のもの以上は欲しません。でも、一旦それに溺れると、途端に他の刺激を欲しくなる。YouTubeなどに搭載されている「オススメ動画」のコンテンツは、「更に更に」という気持ちを奮い立たせるという意味で、例えばとある国の銃乱射事件の容疑者はアメリカの高校での銃乱射事件の映像を繰り返し見て、「オススメコンテンツ」を見るうちに、自分もやれるのではないか、と考えるようになったのでは、と欧州の大学の心理学教授は語っています。
つまりは、メリハリが大事ってコトでしょう。
「いい加減」ではなく、「良い加減」ってことが大事ではないかと。
笑いは人を豊かにします。でも、笑いだけでは生きていけません。その笑いを生み出す人たちの苦労というのはいかばかりか。テレビのお笑い番組の多くは作家が作っています。殆ど睡眠時間を削って作ってます。お笑い芸人の中にも、作家に作ってもらっている人間はいます。
そういう状況下で、「笑い」をただ受け手として漫然と見るのではなく、それが作られた状況とか、若しくはその姿勢とかを感じつつ、受け取る必要もあるんではないでしょうか。
映像に突っ込みを入れてテロップにしてそれで面白ければいい、確かに面白いでしょう。でも、テロップの仕事もやった人間から言えば、最初に徒らにテロップを入れて笑いを取ろうとした責任もあります(私はしていないけども多分に最初に酷くテロップを入れるようになったのは「笑ってコラえて」とか「エンタの神様」「うたばん」あたりだと思う)。だからこそ言うわけでもないですが、それで笑いを取るってのは、もう「ここで笑え」と言われているようなもので、情報操作以外の何ものでもない。つか、番組の制作サイドでは「ここは笑うところですよ」という意味合いで入れるようになったのだから。

話を変えて。
「カッコイイ」「男らしさ」「女々しさ」って、一体なんでしょうか。
特に後ろの2つに関しては必要な場合を除いては「差別用語」としてラインアップして場合によっては他の表現に換えてもらう言葉ではあるのですが、正直ここまで人類が多種多様な生き方を模索できる世の中に於いて、これらの言葉をステレオタイプに使うのは難しくなってきているのではないでしょうか。
特に、「カッコイイ」は女性にも使います。
後ろ2つは男性に主に使う言葉で、対義語としては「女だてらに」「女傑」「男勝り」などがあるかと思いますが、これらもいずれも差別用語として他の表現に変えてもらうことが多い表現であり、あまりいい表現ではないと言えます。
で、「カッコイイ」をもっと掘り下げて考えていくと、先にも書きましたように人それぞれのベクトルでの考え方がある。私に対しては「カッコイイ」はけして褒める表現ではありませんが、「そこまで自分の考え方を突き通すのはある意味喜ばれないでしょうがカッコイイです」と仰る方もおられます。そうではない方もおられることでしょう。それが、この言葉の危うい所なのです。「男らしさ」「女々しさ」「女だてらに」「女傑」「男勝り」いずれもある程度の範疇を以ってして言い易い言葉ではあります(差別的表現ですが)、でもこの「かっこいい」についてはとてもじゃないけど考え方一つ違う人間は全員基準が違うということを知らねばなりません。
自分の価値観が絶対で、それ以外はおかしい、というのはその人間の傲慢です。
カッコイイ、とは元々「見た目」だけを言うことであると広辞苑にはあります。ですが、現況では「生き方」や「声」などにも派生してきており、何か一つの部分を表すには無理が生まれてきてしまいました。
であるからしてみると、仮に「出川がカッコイイなんて、アンタおかしいんじゃないの?」ということが基本的にはまかり通っているわけですが、そうも言い切れないのではないかと。私自身も彼を(見た目に)かっこいいとは思わないけれども、少なくても「空気が読めない」ということを「演じている」ということを知っている自分としては、「まぁ普段はきちんとしている紳士だしね」と思うにつけ、少女に手を出したような別の男性タレントなどに比べたら遙かに「かっこよさ」は持ち合わせているんじゃないかしら、とは思います。とあるカッコイイと言われていた男性有名人が女をコロコロ変えて結果として女性が自殺未遂してしまった事件もありましたが、それも考えてみたら、私には「カッコイイなんて思えない」と思うわけです。見た目には、確かにカッコいいんですけどね、でも性格的にはもうどうしようもない人間なんだろうと思うにつけ、私には「ふーん、コイツは売れる女を探して、ダメとなったら捨てるんだね」と思いつつ、その商業主義的な佇まいを感じてしまい、テレビで顔を見たくもない人です。

ともかく。
人間は様々なベクトルを持っている。
それを知らずして、人間の世界で生きていくことは出来ないのではないでしょうか。

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2008年4月 2日 (水)

軽く立ちくらみですよ

いや・・・私的にちょっとあってねぇ。
個人的に先輩だっただけに、かなり裏切られた感じで、すごくえずきましたね。
そもそも、エープリルフールだったために、「大掛かりなウソか?」とか思ったしな。でも、そうではなくて本当のことで・・・って分かって、絶望したね。
うーん。
良くないです。やっぱり。ちゃんとしようよ、大人たち。

で。
仕事でもねぇ。
向こうは正社員でこっちはスポット派遣だから好きなことも言えるんだろうけども。
アタシは専門職として、完璧とは言わないまでも自負を持ってやっている。でも、正社員は派遣と言う理由で結構雑用的なことを指示してくる訳ですね。
ま、反論しますけどもw
あまりに納得が行かない場合にはね。
相手が女性だろうが年下だろうが、アタシに指示してくるのはイイ。無問題。
でも、自分の業務範囲以上のことを指示してくるのは・・・と。当然、社員さんは社員さんで忙しいのは分かるし、社員さんも同じようなことはやっているんだろうと思う。けど、アタシは専門職なんだってば・・・。
細かい地道な作業だけど、人目に触れた時には誤りがないようにやっている訳で結果として人目につかないすごく陰のようなことをやってる訳ですよ。でも、それに生き甲斐とまでは行かないけども強い自負を持ってますよ。
まぁ・・・。
何か、結局派遣ってそういう立場として使われるのね・・・って思ったら、ちょっと絶望した。
本当はね、フリーでやれればいいんだけどさ。そうも行かないので。

一方。
コスの世界では、アタシは色々と「すげーな、これは、をい」とか思いつつ見て回っているんだけどね。
やっぱり女の人はすごいです。
自分は確かに胸を潰す必要はないから・・・その意味で恵まれている部分もあるのかもしれない。でも、うーん。それでも再現性は女性には勝てないよね。ヒゲも濃くなってくるし。中高生とかもいるから、結果として肌はキレイだしさ。
 羨 ま し い 。
ま、そう言ってても始まらないので、自分は自分でやっていくしかないんだけどさ。蔵馬にせよアキラにせよコノエにせよ、雲泥の差だけどな。
でも、好きでやってるからなぁ・・・。しょうがないんだよね。
人に見てもらえるからやってるわけではないからねぇ。自分自身で納得してそれがために面白くてやってるわけでね。楽しいと言うか、自分で自分をその瞬間くらいは自分ではない分自身を許せると言うかな。自分は普段は自分を許せないからねぇ。自分の存在。それをリセットできるからやってるんだろうなぁ、と思うんだけどね。
なんて難しいことを考えつつも。
結局はさ、全ては腐男子だからってことね。色物をやるつもりはないと言うか・・・やってやれなくもないし、それはキャラ的に重要だし・・・でもね、自分が好きなキャラをやるのが一番いいかなと思うのよね。結果的に少年ばかりになっちゃうんだけどさ。
あ~、本気で。
 若 返 り た い 。
で、肌がきめ細かくなりたいよねぇ。メークの乗りが良くなるって楽しそうなんですけど。女の人に比べて男のそれはやっぱり粗いしな。ま、とは言え・・・アタシはたばこをやらないのでこの歳でもほかの男の人よりはキメは細かいらしいですけども。ただ、残念ながらどうやら「ほうれい線」らしきものや老眼らしきものが出てきたっぽいしなw
いい加減、自分も歳なんだな~と思うには思うんですけども。でも、やってしまう腐男子の悲しい性でした。

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2008年2月 3日 (日)

結局さ、最後には受け入れるかしかないのよね

受け入れるか。
変えてみるか。
自分というものを亡くしてしまうか。

それくらいしか、選択肢はないのではないかと思う。
アタシは、「受け入れたくないけど、しょうがなくて生きている」ような感じです。
まぁ、今当座を生きていくためには、それしか方法がないわけで。

この所、特にまた老化と男であることへの嫌気というか諦念観がすごく頭を持ち上げてきていて、本当にどうしようもない。
とは言え、早急に何かを変えるわけにもいかないわけで、今現状を生きていくしかないんだけど。
ただ、何かしら抗うのであれば、コスもそうだけど料理もそう。ピアスも開けてみようかなとか思っているのもそう。
料理をして、相方(カミサン)が嬉しそうに食べているのを見ていると、「自分が女だったら、もっと関係的にも正常だったのかもなぁ」とかついつい思ってしまいます。料理に集中している時は自分というものを滅することが出来るから何も考えなくてもいいので楽だったりもするのだけど、ふと休んだり・・・食べ終わったりすると、あるべき姿とは乖離しているんだろうな、とこの風景を見るにつけ、ちょっと心苦しくなります。
そんなこんなを考えていると、爪を噛む癖が増えてきます・・・。あんまり精神的には宜しくない状態なんだろうなぁ・・・。何とか変えてみたい、でも変えるのは難しい・・・。その狭間でいつまでもフワフワと漂っているような感じです。

そういえば。
男に「生まれ変われるのであれば」と聞くとまず多数は「オトコ」だそうで。
アタシは断然当然「オンナ」と答えるんですけど、やはり基本的には男の中では「男子の本懐」って言うか、女々しさとかそういうのを意図的に隠したいと言う何か「強がり」とも通ずるものがあると思うのですが、何か・・・面倒ごとは女性に任せて、沽券を守ろうと言うのかな、そういう姿勢が見え隠れしているようで、どうしても自分には解せないものです。
一方の女性に同じ質問をすると、昔は「オトコ」という答えが多かったそうですが、最近は「オンナ」と答える人が増えたそうで。
まぁ・・・その方が色々とお得なこともあるし(お店で女性限定とかいっぱい優遇があるしね)、何となく納得がいきます。何にしても性別を決める染色体のXX若しくはXYってありますが、元々は女性のXXが正常で、突然変異的に出来たのがXYという男性の染色体なんだって話ですしね。そう考えると、遺伝子レベルでの話では女性のほうが「メジャー」であって男は「マイナー」なんですよね・・・。

そういえば、その昔、自分は「クラインフェルター症候群」ではないかとか思っていた時期があります。多少胸が出てきた時期があったというのもあるのですが。
精密な検査はしていないので何ともいえないのですが、まぁ基本的にはまずないとは思うんですけどね。でも、そうであれば逆に男にされちゃう(ホルモン療法とかで)らしいので、「女の方になっちゃダメ?」とか聞きたくなるんじゃないかと思うんですけど。
で、そのクラインフェルターですが、「三毛猫にオスは殆どいない」というのは有名な話ですが、オスは染色体異常のこの「クラインフェルター」でしかまず生まれないと言うことだそうです(そのために生殖能力もなく、現在確認されているのは世界で3例のみが生殖能力を有する三毛猫のオスなんだそうです)。
なんてどうでもいいことを語っている自分は、今度ニャメント・・・のネコをやってくる訳ですが(しかもある意味自分自身でも「ネコ」)、本当に自分が三毛猫に生まれていればなぁ・・・オスで生まれることはまずなくて苦労もしなかっただろうに・・・って思ったのでした。

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2008年1月23日 (水)

何と言うか・・・やっぱり心と体のジェンダーが・・・

おかしいと思うんだけどな・・・自分。
そもそも、何故に男の入れ物に入らなければならなかったのか・・・自分では絶対に分からないし、そういう運命なんだとしてもそれを受け容れられるだけの勇気が殆どないのです。
ただ、死ぬ勇気もない。
でも、運命を受け容れることが苦しい。
となると、一日一日が悶々とした鬱々たる気分で過ぎていくしかないのです。

去年末、私はとある場所で昔の知人と飲み会でジョソして来ました。
Piaキャロみたいなファミレス系の服で「デリケートに好きして」を歌ってきたのですが。
まぁ・・・多分にノリノリだったと思うのよね。
魔法の天使クリィミーマミDVD メモリアルボックス 「クリィミーマミ」の中では、変身して歌手になっちゃうんだもんねぇ。まぁ、自分がやってることとそんなに違いはないか~とか思いつつメークもして歌っていたんだけど(因みに「デリケートに好きして」はムチャクチャ歌います)。
まぁ、それに限らず・・・。
比較的に見ていて着たい服というのはいくらでも出てきますね。「プリキュア」は1の頃からやってみたかったしな。
コスプレ衣装 プリキュア5 キュアミント 秋元こまち 取敢えず「5」ではドリームはお腹が出てしまうのでちとアレなので、ミントかなぁ・・・とか思いつつ見ているわけですよ。
あ、ナッツやってますけどねw
プリキュア5、スマイル go go!/キラキラしちゃってMy TrueLove!着て「プリキュア5、スマイル go go!」を歌うのもアリだよねぇとか思うし。あ、因みに飲み会ではこの歌をそのウエートレス服の格好で歌ってきましたけど、さすがにその手の人ではないので誰も知らなかったと言うね・・・;;;
ま、私らしいってことでムチャクチャ普通に流されましたけど。

ま、そんなことはともかく。閑話休題。
自分としては、そっちに目が行くということばかりで、あんまり最近は男としてのモチベーションが保てなくなってきているような感じさえしますね。たまたま男だけど、でも気持ちがそうでもないから「あんまり男としての意識をするのはやめようかな」みたいな。だから、女性を見ていてもファッションとかメークとかに目が行くけど、それ以外に就いてはさほど目が行かないのですね・・・。
胸フェチでもお尻フェチでもないし・・・。
家で洗濯をしたり、炊事をしていると嬉しいし、ご飯を作って「美味しい」と言われたら嬉しいし、言ってしまえば世間的には「主夫」なんだろうけど、自分の中ではやっぱりそうは言っても「主婦」なんだよなぁ・・・イメージ的に。安売りがあれば飛びつくし、色々と家計を考えてやりくりしたりさ・・・。
何にしても、私にしてはさ、すごく変な感じを抱きつつ生きているような感じです。
一生治らないだろうし、多分にお墓に持っていくしかないことなんだろうけど、何か・・・腑に落ちないっていうか、望んで選べた性別ではないだけに、自分自身で納得が行きにくいのよね・・・。しかも、男だからということだけで田舎では周りからの期待も大きいしさ(特に「長男」とかになると)。

ホントなぁ・・・、男であることをある日突然やめられたらいいんだけどね。
その日を境に体も女になってねぇ。
そうなれば、ちったぁまた人生を今よりは前向きに進んでいることなんだろうな、って思うんですけどね。

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